1960年 昭和35年 4月號 その1 人物 2020年05月23日 表紙絵 ”八重桜” 森田正治目次仕事の表情 花を活けつつ 安達瞳子舞台の上で 野村万蔵窯の前で 中里太郎右衛門猛獣とともに 本間勝男春とよぶ海辺の里 千葉県和田町あたり花の荷を背に家路を急ぐ母と子自然の中によみがえる少年の群れ北海道遠軽の家庭学校新しいオペラの舞台バイロイト音楽祭の新演出 属 啓成この人をゆるせ夫の不慮の死に遭遇したペリー夫人の祈り 宅間信基(立教学院付き牧師)寄稿より一部紹介昨秋、立教大学構内で米人教授ペリー氏が酒に酔いしれた日本人学生の手にかかって不慮の死を遂げた。この事件は日本の社会のいやしがたい傷として、ふかい痛みと悔い残したのであったが、遺された教授夫人は青年の罪のゆるしを切に乞われているという。この異国の友の真情と祈りは何にねざすのか。ペリー家の隣人また親しい友である宅間氏に伝えてもらう。※ その後、長女で当時13歳だったエリザベスJ ペリーさんは、ハーバード大学政治学部教授となられ、2012年立教大学を訪問、亡きお父様の記念礼拝に出席しました。私の日記 大内兵衛(東大名誉教授)感想60年前の安達瞳子さんの生前の美しい姿。またフリージアの花を背負い家路を急ぐ若き母の姿。どちらも印象に残りました。 < 前の記事次の記事 >